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「一語一句」という言葉・・・ 2009年 1月 25日

「一語一句」

この言葉を見て、どう思うだろうか?
手元の国語辞書(三省堂「国語辞典」第六版)には載っていない。それどころか岩波書店「広辞苑」第五版にも載っていない。
ある人は、辞書に掲載されていないから、この「一語一句」なる言葉は間違いであると言う。正しくは「一字一句」というらしい。なるほど、確かに「一字一句」なる表現としては何れの辞書にも掲載がある。

だが、果たして、この「一語一句」なる言葉は間違いなのだろうか?
結論から言う。すくなくとも、英文を対象にする場合において、この言葉は正しいし、むしろ「一字一句」よりも適切な言葉である。

理由を述べる。

まず、「辞書に掲載がない言葉(遣い)は間違いである」・・・この前提自体がそもそもおかしい。言葉は生き物である。実際に使われている例こそが言葉の存在を保証し、また意味を定義付けるものである。辞書はその大量に氾濫する言葉のほんの僅かの部分を(それでも細心の注意を払って可能なかぎり漏れのないように)掬い取って体系的に記述したものである。だとするならば、辞書に掲載されずに漏れてしまう言葉も当然ながら出てくる。したがって、辞書に載っていないがゆえに、それだけで間違った使用例だというには根拠に乏しい。

では、「一語一句」という言葉は実際に使われているのか?Googleで検索をするとこの記事の記述時点で 818,000 件のヒットが返ってくる。その一方で、「一字一句」に対しては約 3,120,000 件がヒットする。数字を見るかぎり、「一字一句」という言葉が一般的であり広く使用されていることは論を待たない。しかし、その4分の1に当たる数の使用例が「一語一句」にもあるのである。もはや、辞書に収録されていないという理由だけでこの「一語一句」という言葉の存在を無視・否定することはできない。

一般の使用例数だけでは心許ない。すこしでも学術的な使用例を見てみることにする。
翻訳英語に関わる仕事に就いている人ならば、最低でも名前だけは聞いたことがあるであろう、かの田中菊雄先生が著された中に、このような表現が出てくる。

いま外国語の学習が知能鍛錬上にどのような効果を持つかといえば、まず第一に一語一句をも忽せにせぬ周到緻密な読書習慣と理論的思考力の養成とにおいて、外国語の学習ほど有効なものはないと思う。
(講談社学術文庫「英語研究者のために」より)

この表現を見つけたときはたと膝を打って小躍りしたくなった。というのも、「一語一句」という表現は、英語に真に精通した者のみに許される言語感覚といったものを体現するに相応しい言葉だと思えたからである。

知っている人には言うまでもないが、田中先生は苦学の末に英和辞書まで編纂されるに至った、英語・日本語ともに通じた非常に優れた研究者である。俺などが評価することすらおこがましい位の方である。そんな人にすこしでも近づけたのではないかと思うと、我ながら感動を覚えたのである。

話が逸れたが、英語では words and phrases と言う。日本語に訳すと「(単)語と(成)句」である。letters and phrases とは言わないし、characters and phrases とも言わない。そう、英語の基本単位は word なのである。その word がいくつか集まって phrase を成す。であるからして、英文を「ひとつひとつ」比較したり調べたりする場合に適切な表現は「ひとつひとつの文字を」ではなく「ひとつひとつの(単)語を」そして「ひとつひとつの(成)句」なのである。すなわち、「一語一句」なのである。決して「一字一句」なのではない。

「一語一句」は間違いで「一字一句」でないと正しくないと思い込んでいる人は、こういう人である。
まず、日本語について言うと、言葉の運用能力に柔軟性が欠ける。使用語彙が非常に限定されていて、辞書に掲載されている語彙ですら大半理解しているかどうか怪しい。ましてや、自ら新しい表現や言い回しを創出することは不可能に近いだろう。また、相手がそのような表現を発した際に、自らの偏狭な語彙に基づいて誤った判断・反応を示してしまうことが多いだろう。
つぎに、英語について言うと、日本語との相違に気付かず日本語の構造をそのまま持ち込んで理解に苦しんでいるだろう。翻訳を試みてみたものの、どうもしっくり日本語にならなかったり、逆に英作文をしてみたもののなんとなく言いたいことが伝わっていないような感じがすることが多いのではないだろうか。

「似て非なるもの」という言葉がある。日本語と英語は使用する文字・構成要素・構造いずれも異なる言語である。この差異に研ぎ澄まされた神経を向ける者のみが真に両言語に精通することが出来る。そのように神経を常に研ぎ澄ましていたいものである。

 

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